千葉東部新聞

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ジャーナリストの品格とは

ジャーナリスト【journalist】
新聞・雑誌などの編集者・記者などの総称。
大辞林第三版より

 ジャーナリストを名乗る以上、出来る限り自分の目と足を駆使し、カメラと筆を持って真実を映すべきと私は考えている。しかしジャーナリストとは、それこそ私の様な素人でも名乗れる職業である。掘り下げて行くと報道ジャーナリスト、戦場ジャーナリストなどと、その種類は多岐に及ぶが、どのジャーナリストにも求められる物と、守らなくてはならないルールがある。それは"中立"と"偽りの禁忌"だ。

 ジャーナリストは常に中立でなくてはならない。例えば、特定の思想―保守的、革新的でも、書き手の思想が取材に入り組んでしまうと、たちまちその記事は第三者の目には煽動的な、あるいはプロパガンダ的な記事になってしまう。読み手には事の真相・真実を伝えるように努力していかなくてはならない。

 それ以上に忌むべきことは、内容を偽ることである。偽ると言うことは、文字言葉通り「ありもしないことをでっち上げる」ことであるから、公になれば書き手の信用失墜に繋がるし、また書き手が新聞社やテレビ局の報道部などに勤めている場合、そのテレビ局の信用失墜にも繋がっていく。また、書いた物を目にする読み手は間違った情報を頭の中に取り入れてしまうし、取材された側からも大変な繁閑(はんかん)や不信感を抱かれることになる。

 近年、国内の新聞やメディアでは、真実が映されることが非常に少なくなってきている。勿論新聞社やメディアの自主規制もあるだろうが、私は目の前に真実がある以上、その姿を捉えて発信していくことがジャーナリストの仕事であると考えている。例えば、バス会社の手落ちから繋がった大事故で一家の大黒柱が死に、その棺の前で悲しみに暮れる遺族が居れば、その姿をカメラを通して映すべきだし、壮絶なイジメの末、孤独感と絶望感の中自ら命を絶った少年が居れば、その少年の最期の姿と、無責任な学校関係者とイジメに関与した関係者の姿を捉えるべきだ。事の真相や真実を手落ちなく裏どりし、世間へ向けて発信して行くことが、最終的には健全な世論の展開に寄与すると私は考えている。

 自主的に過激な描写を規制することは望ましいことではあるが、それはかならずしも必要な事ではない。時に残酷でも、時に悲劇的でも、その場面を偽りなくカメラに抑え、それを記事と共に発信して行くことが、ジャーナリストを名乗る者に課せられている責務ではないだろうか。うそ偽りの記事を書き上げ、特定の人物や団体、時には政党を中傷・誹謗するような輩はジャーナリストではなく、ただの"俗物"である。