千葉東部新聞

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マスメディアと体制の癒着 ナメラレルのは自業自得

 以前から体制派だった読売、産経はともかく、ここ数年で体制とメディアの"ゆ着"が顕著になっている。政界・財界人との会食ならば兎も角、相手は権力を監視する義務を持つマスメディア関係者である。

 共産党の機関紙「しんぶん赤旗」2015年6月26日の記事で、安倍晋三内閣総理大臣=60歳、東京都渋谷区富ヶ谷1ノ30ノ29=と財界関係者、マスメディア、報道関係者らとの会食の実態が明らかにされた。その数は5月から6月末までの間になんと14回にも登っている。問題なのはその中にメディアの会社名が含まれていることだ。メディアが権力と癒着している証左である。

会食に関係した報道機関は次の各社

 この14という数字はあくまでしんぶん赤旗、および各紙の首相動静が把握しているだけの回数で、過去の会食回数を含めればもっと膨れ上がるだろう。

 本来マスメディアには"権力を監視する義務"がある。与党の議員が「文化人に働きかけてマスコミを潰そう」なんて発言をしたら、潰されないためにも反体制キャンペーンをしなくてはならないし、与党の幹部が会食を持ちかけてきたら「メディアに権力と同じ立ち位置になれと言うのか」と激怒しなくてはならない。しかし、残念なことに今は異常な事態になっている。マスメディアが権力と馴れ合っているのだ。監視の義務を放り投げて権力と癒着し、あろうことか関係者が首相と会食までしている。

 多忙を極める一国の内閣総理大臣と、権力を監視するメディア上層部の会食。権力とメディアが馴れ合っている証だ。更に言えば、メディアが忠実なイヌになっているのだ。おそらく今後、メディアによる政権批判は更に減っていくだろう。なぜなら「メディアのしつけ方」がマニュアルになってしまったからだ。時の為政者はメディアの鼻先に依存性の強い劇薬入りのおいしいエサを垂らす、すると何も考えずに嬉嬉と喰らいつく。喰わせてしまえばあとは蹴っても殴っても噛みつかない"賢いイヌ"となり服従するのだ。

 このエサのタチの悪いところを挙げるとすれば"依存性"だろう。一度食べると主人が居なくなるまで、劇薬入りのエサを食べ続けなくてはならない。このおいしいエサを食べておきながら、主人に噛みつきでもすれば手痛いおしおきが待っている。テレビ朝日の事情聴取の様に。

 安倍、福田、麻生そして時の与党、鳩山、菅、野田と、いままで権力を叩き潰してきたのはメディアだったが、そのメディアを懐柔してしまえば批判的な論調や"政治家おろし"は、無くならなくても数えるほど少なくなる。悪しき前例を作った内閣総理大臣と、何も考えずに会食に参加したメディア関係者の罪は非常に重い。

 米国ではメディアの人間が政治家と会う時は、たとえ社長でも、あるいは相手が地方議員であっても「コーヒー1杯」が上限で、それ以上の飲食は「癒着」「ジャーナリズムの腐敗」と見なされるという。日本のメディアはまず為政者と一定の距離を置くことから始めなければならない。

 先日、作家の百田尚樹氏=59歳=が自民党の若手議員らが出席した「文化芸術懇話会」で、「沖縄二紙は潰さなくてはならない」などと問題発言をし、波紋を広げたのは記憶に新しいところだが、ここで本当に懲らしめなくてはならないのは同会に出席していた若手議員らだ。若手議員らは「マスコミを"懲らしめる"には広告収入をなくせばよい。文化人が経団連に働きかけてほしい」などと百田氏の発言に便乗し、憲法で定められている報道、表現、言論の自由を侵害する発言をした。メディアが権力に舐められている、舐められきっている。もしここで本気で激怒していれば、たちまち現政権は失脚しただろう。ところがテレビも新聞も、数日間記事にしてさっさと話題を葬ってしまった。肝心の自民党議員の発言は特段追及しなかった、できなかったのだ。主人に噛みつけばテレビ朝日のようにおしおきが待っている。おしおきされれば放送免許をはく奪されたり、広告収入がなくなり、たちまちその会社は存続の危機に陥る。

 もちろん為政者を監視しているメディアがあることも忘れてはならない。中日や東京など、部数は少ないが地方新聞は今でも権力を監視することを忘れていない。この2紙は―特に東京、反体制的な記事を書いているし、西日本新聞や沖縄2紙(沖縄タイムス琉球新報)はさらに反体制的な論調が目立っている。大手紙が取り上げないような問題発言やスキャンダルを、しっかり購読者へ届けている。ネットで「反体制的だ」、「サヨクの機関紙」、「便所紙」などと叩かれていようが関係ない。改めて"権力のイヌ"に成り下がっていない地方紙に心の底から賛辞を送りたい、そしてイヌに成り下がっているマスメディアが、自ら襟を正していくことを期待する。